絵を描きたいと密かに思いつつも、目の前に敷かれた無難なレールを進んでいた私。
人生の転機を経た後、「イラストレーターになるしかない」と悟るまでの経緯です。
田舎にいるごく普通の子ども
兵庫県のちょうどよい田舎で生まれ育つ。
小さい頃から絵を描くのは好きで、学校ではよく絵を褒められていた。
小学生の時、とあるイラストコンテストに何気なく応募したら佳作をもらい、
親から「絵の勉強をしたいか」と聞かれたので「したい!」と勢いよく言ったものの、
いつの間にかその話は流されていた。
(スクール費用が思いのほか高かったのでごまかされたものと思われる)
がっかりはしたけれど、小中高は真面目に勉強や運動をがんばり、普通に過ごす。
大学進学時は美術系に進みたいと一瞬思ったけれど、親からも先生からも普通の総合大学へ行けと言われ、
そんなものかと言われるがままにする。
絵の他にやりたいことは特になかったので、受かりそうな学部・学科を適当に受け、
受かった中で一番キャンパスが綺麗だった大学に進学。
音楽ばかりの大学生活〜苦労した就活
大学では、勉強はそこそこに音楽に打ち込む。
軽音サークルに所属し、友人のバンドのマスコットキャラクターを描いた。
このキャラクターがイラストの原点となり、デジタルで絵を描き始める。
この時初めて触った制作ソフトがIllustrator。
父が持っていたからなのだけれど、よくまぁこんな難しいのにいきなり手を出したもんだと今なら思う。
Illustratorがどんなソフトなのか知らないまま、ひたすらベジェ曲線でイラストを描いていた。
就職氷河期(リーマンショック世代)で就活は難航。
やっともらえた内定先も、事務職だと思っていたら体力仕事を最低3年しなければならないと知り、
入社を辞退。その時すでに3月。
大学卒業はもう取り消せなかったったので、4月から既卒で就活をする。
昼間は就活、夜は塾講師のアルバイトという生活を半年ほど続ける。
当時はまだまだ既卒に対して厳しく、門前払いの日本企業が多い中、
新卒既卒をあまり気にしない台湾系の船社が拾ってくれた。救世主のように思えた。
念願の英語を使う仕事だった。
船会社での濃い2年間
配属は名古屋支店。同期が全員東京本社配属なのに1人だけ名古屋。誰も友達がいない名古屋。
心細い中初めての一人暮らしと社会人生活をスタートし、2年間とにかくがむしゃらに働いた。
慌ただしいカスタマーサービス部にて輸出入業務をこなし、貿易の知識とガッツが身につく。
個性的なお客さんがたくさんいたおかげで、精神面はかなり鍛えられたように思う。
ものすごく大変だけど、ものすごくやりがいのある面白い仕事だった。
社会人2年目になり余裕が出てきた頃、やはり絵を習いたいと思い、仕事終わりに絵画教室に通い始める。
が、球体のデッサンをひたすらして少し嫌気がさしてきた頃にちょうど引っ越すことになり、
数ヶ月で辞めてしまった。
マレーシア・ペナン島での暮らし
夫のマレーシア赴任について行くため、一旦仕事は辞める。
(当時は夫ではなかったものの勢いに任せて結婚)
船会社の仕事は好きだったので辞めたくない気持ちもあったけれど、
海外で生活するのが一つの夢だったのでホイホイついて行くことに。
マレー系と中華系とインド系にその他外国の文化が入り混じり、独特の雰囲気があるペナンの街並み。
その色柄に惹かれひたすら集めたバティック(マレーシア・インドネシアのろうけつ染め)。
街中が芸術みたいで楽しかった。
今思えばこの無職の間に絵をたくさん描くべきだったのだけれど、
異国での生活に慣れるのと虫と戦うのに必死であまり描けず。
日本に戻って再就職
2年程マレーシアで生活した後、夫が転職、東京に移る。
英語を使う仕事がしたいという気持ちが残っていたため、再び就職しようとしたものの、
その頃には私の正社員としての価値は低くなっていた。
2年しか社会人経験がない上に2年のブランクがあるのだから、当然といえば当然なのだけれど、
社会の厳しさを突きつけられた気分だった。
開き直って、派遣で貿易事務・外国特許事務・秘書などの仕事をする。
派遣の利点を活かし、半年ごとにいろんな職場に潜り込んだ。
仕事自体は大して面白くなかったけれど、大企業の経営トップに近い部署の様子を見たり、
コスト意識度外視の法人事務所の実態を見たりするのは楽しかった。
正社員になるチャンスがある職場もあったけれど、
ずっとここで働きたいと思えるような職場や仕事には出会えず。
計1年半程働いた後、妊娠・出産のため再び仕事を離れる。
イラストレーターへの道を決意
オフィスワークや英語を使う仕事はもう十分満喫したという満足感があったので、
次は違うことをすると決めていた。
今から新しい組織に属するのは子育てとの両立が難しいと感じ、
ある程度自分で仕事をコントロールできる自営の道を決意。
自営でやっていけそうなもの、絵しかないと思った。
小さい頃から密かにずっとやりたいと思っていた仕事。
1歳の時にやる「選び取り」でも筆を手に取ったらしいし。
やはり絵を描く人生を歩んでみたいと、イラストレーターの道を目指し、今に至る。